後藤義光の寿蔵碑書き起こそうとしてみた
後藤義光は、南房総市生まれの宮彫師です。 最近葛飾北斎との関係で評価されるようになった波の伊八と入れ替わるように生まれ、幕末から明治を龍とともに駆け抜けた南総の偉人です。 ですが、そもそも宮彫りという概念がそこまでメジャーではない事もあって知名度はほぼ皆無です。このWikipedia記事も最近私が作るまでは存在すらしませんでした。 後藤義光 - Wikipedia
そんな義光に関する資料の一つに寿蔵碑があります。義光の米寿記念に建てられた生前墓で、義光の生涯と功績を記録した石碑です。 私は一人の義光ファンとして寿蔵碑に何が書いてあるのか知りたかったのですが、なんとどこにもそういう情報は公開されていませんでした。
誰もやってないならやってやろうじゃないかということで、館山市長須賀の来福寺に行って写真撮って書き起こしてみました。 ...のですが、私は古い文字に詳しいわけでもなんでもないので、どうしてもわからない漢字が5文字ありました。 この書き起こしもそのうちWikipediaに載せたいですが、せっかくなら全文わかる状態で載せたいと思っています。 読める方いたらぜひ教えて下さい。
寿蔵碑本文
後藤義光翁寿蔵碑
城山恩田武撰
後藤翁彫刻之名噪于房南苟有之且者莫弗聞知①会且其所聞知約而
言之翁元山口氏通稱利兵衛千倉人父彌平與妻山口氏禱八幡祠生翁
翁生聰慧具遊嬉恒翫刀鋸年南十四刻大黒天像高四尺許精巧駭人十
八刻里社寶②益延世譽於是奮然立志欲誓以彫刻成一家入都下後藤
三次郎氏門淬勵有年技大進甞以師命刻於浦賀明神社工竣襲後藤氏
改義光再來名聲藉甚四方来請者門不絶踵後以一刀三拝禮刻清澄寺
賞③賜法諡日如意雨寶居士而翁④年八十有八矣健啖闊歩執業之暇
喚茶命酒襟度洒洒如也方其誨子弟周許功篤慈厳兼至頼焉以成業者
捏不暇僂抑荘周所謂進技者歟⑤者門人某等𣆁議建壽蔵碑欲貽翁之
功徳於永劫来請余文余日世傳飛弾内匠所刻之馬脱覊絆而逭人災翁
之所刻雖未知其妙如何而某等人也翁之以心彫刻而成業者也内匠之
所刻獣也以手彫刻而顯霊者也以年刻者雖妙乎時或不免朽蠧以心刻
者愈傳愈妙此豈不大勝於彼耶某等笑日然廼録其語俾刻諸於石云
従八位鈴木周太郎書
読めなかった漢字たち